今朝のスポーツニュースでも、「見ている人に元気や勇気を与えたいと思って」的な記事が載っていた。
日本人アスリートがこのようなフレーズを口にするようになったのは、東日本大震災以降だと思う。当時は何も思わなかったが、最近は違和感を感じるようになった。
スポーツを見ている人が、「よし、おれもがんばろう」と思うのは自然なことだし、「元気をもらった」と口に出すのはかまわない。
しかし、アスリートの方が、「夢」だの、「希望」だの、「勇気」だの、「元気」だの、「感動」だのを「与える」と口にするのは、傲慢な気がする。「上から目線」を感じる。せめて「届けたい」が適切だろう。
仮に本気でそう思ったとしても、それを言葉にする文化は、今までの日本にはなかったように思う。もちろん、文化は移ろいゆくものではあるが。
一人のアスリートの周りには、家族、コーチなどのスタッフ、資金などの支援者などがいて、サポートしてくれている。施設整備や派遣には、税金が投入されることもあるだろう。
自分のためにがんばる。家族のためにがんばる。応援してくれるひとのためにがんばる。そういうアスリートを応援していきたいと思う。
今度、「夢」だの、「希望」だの、「勇気」だの、「元気」だの、「感動」だのを「与える」と豪語するやつがいたら、そうだな、チャンネルを変える。