第一次世界大戦の「戦後」が終わり、第二次世界大戦の「戦前」が始まる境目は、1929年の世界恐慌であり、日本政治史的には、ロンドン海軍軍縮条約調印を統帥権の干犯だとして、浜口内閣が批判を浴び、首相が襲撃された頃のように思える。生まれていたわけではないが、そこらあたりで、紙面上でも空気がガラリと変わる。
日本の第二次世界大戦の「戦後」が終わり、新しい「戦前」が始まったとすれば、安保法案が成立した日であろうか。そうならないことを祈るばかりであるが、アメリカと一体となって、始めてしまう危険性が大いに増したように思える。
そうならないためには、2つの方法がある。一つは、国会の勢力図を変えて、今回の安保法制を廃止あるいは改正することである。2016年の参議院議員選挙、そして次の衆議院議員総選挙の2回とも反対派が勝利しなければならない。
初めて有権者になる18、19歳をはじめ、若者の投票率アップが欠かせないだろう。
問題なのは、民主党政権時代の失望感が強く、受け皿が心もとないことである。
「落選運動」は公職選挙法に引っかからないらしいので、少なくとも、賛成した議員は、落選させるしかあるまい。
もう一つは、最高裁判所が違憲判決を出すことである。日本では、抽象的に法律を合憲か違憲か判断するシステムにはなっていないので、何か事件が起きなければならない。戦死した自衛官の遺族が訴えることなどが考えられるが、それだとすでに戦争が始まっている。弁護士グループが何か知恵を絞ることを願う。
砂川事件判決では、高度に政治性のあることについては裁判所は判断しないという統治行為論を持ち出したが、その点も争点になる。大多数の憲法学者、元内閣法制局長官、元最高裁裁判官が違憲と言っているので、きちんと判断してもらいたいと思う。
ただし、違憲判決が出ても、国会が改正しない限り、法律としては生き続ける。
やっかいなのは、国民に本当の情報が提供されるかどうかである。それがないと、戦前が始まる危険性が高まる。大本営発表のように。ところが、安倍内閣はちゃんと手を打ってあった。特定秘密保護法である。
知らないうちに、戦争が始まることは、何としても避けたいところである。